2026年10月号 支部機関紙けんちく 4面「仲間からの便り」

紙面に掲載しきれなかった記事をWEBで公開中です。

 

 

【東部分会 井上康仁】

第6回坂本龍馬杯武州剣道大会を終えて

 8月16日、第6回坂本龍馬杯武州剣道大会が開催されました。今年の大会には、沖縄県宮古島、高知県、山梨県、埼玉県、そして多摩地域9市の剣道連盟や各地の道場から、

 369名の少年剣士の参加申込みがありました。遠く宮古島や高知県からも参加していただき、地域の大会として始まった坂本龍馬杯が、少しずつ地域を越えた広がりを持つ大会になってきたことを感じています。

 参加した子どもたちの中には、これまでこのような規模の大会に出場する機会があまりなかった選手も多かったようです。「この大会に出ることを目標に稽古してきました」という話を聞くと、大会を準備してきた者として、やはり嬉しいものがあります。

 また、本大会では文部科学大臣賞、東京都知事賞、高知県知事賞という特別賞を授与しています。もちろん受賞した選手にとっては大きな喜びでしょうが、それを目の前で見た少年剣士たちにとっても、「いつか自分も」という、これからの稽古への励みになってくれたらと思っています。

 私は今回も大会事務局長として、4月頃から準備に携わってきました。毎年、「今度こそ完璧に」と思って準備を始めるのですが、やはり毎回いろいろなことが起こります。

 大会というのは不思議なもので、何か一つを決めれば、それに伴って別のことを確認しなければならない。参加者が増えれば、試合数も増える。試合数が増えれば、審判員や係員の配置、試合場の進行、時間配分なども変わってきます。

 そんな中で、私が準備をしていて一番神経を使うのが、エントリーシート、選手名簿、そしてトーナメント表の整合です。名前は間違っていないか。出場するはずの選手が抜けていないか。部門は合っているか。トーナメント表にきちんと反映されているか。何度も何度もチェックします。それでも大会が近づいてくると、「ぼくの名前がない!」と選手に言われる夢を見て、夜中に目を覚ますことがあります。

 そこまで心配するなら、もう一度確認すればいい。そう思ってパソコンを開いて確認するのですが、翌日になるとまた心配になる。我ながら困ったものです。

 幸い、今回もこの一番恐れていた事態は起こらず、369名の選手たちを無事に試合場へ送り出すことができました。大会が終わったときには、試合そのものが無事終了したことと同じくらい、このことにホッとしました。

 もちろん、「完璧な大会だった」とまでは言えません。振り返れば、もっとこうすればよかったと思うこともありますし、次回に向けて改善しなければならないこともあります。それでも、多くの方々に支えていただき、子どもたちが真剣な表情で竹刀を交え、勝って喜び、負けて悔しがる姿を見ていると、「いい大会になったのではないかな」と思っています。

 この大会は、単に勝敗を競うだけの大会にはしたくないと思っています。

 大会が続いていくことで、少年剣道の振興に少しでも役立つこと。そして、普段は竹刀を交えることのない地域の少年剣士たちが、剣道を通じて出会い、交流する場になること。

 さらにもう一つ、この大会で大切にしているのが、坂本龍馬の精神として掲げている「自忘他利」です。自分のことだけを考えるのではなく、時には自分を忘れて他者のために尽くす。

 剣道は相手がいなければ成り立ちません。稽古相手がいて、先生がいて、支えてくれる家族や仲間がいる。そのことへの感謝や、相手を思いやる心を、剣道を通じて少しずつ身につけていってほしいと思っています。

 第6回大会が終わったばかりなので、今はまだ「来年のことは少し休んでから考えたい」という気持ちもあります。とはいえ、きっとまた準備が始まれば、「今度こそ完璧に」と言いながら、選手名簿とトーナメント表を何度も見比べているのでしょう。そして大会が近づけば、また夢の中で、「ぼくの名前がない!」と言われているのかもしれません。

 

 

【西部分会 高野智子】

 原爆の特集よみました。小さい頃、広島ですごした私にとって平和教育は衝撃的なものでした。夏休みは、怖い原爆の思いで一色になるほど、トラウマになっています。

 地域の大人からは、爆弾が投下かれた当時の話。こわくて夜が眠れなくなる程でした。夜は、地域のひとをあつめて学校で原爆の映画をみる催しがあり、帰る時は怖くて友達と固まってかえった記憶があります。

 原爆の本をよむと、きまってご飯が食べれなくなり怒られたりしていました。原爆ドームのちかくの太田川は死体でいっぱいになったときけば、こわくていきたくなくなりました。

 原爆病院も近くにあり、何十年たったその当時でも苦しんでいらっしゃる方々が身近におりました。被爆2世で散々、病院での治療でなくなった方もしっていました。原爆が投下された8月6日のその時間帯になるとサイレンがなるとき黙祷をしますが、その音が怖くて何かおこるのではないかと子供心に不安だったのをおぼえています。

 子供心にきざまれたあの当時の夏休みは本当につらかったです。いまでは、言葉を優しくしないと削除されてしまう世の中です。でも、本当のことはきちんと語られなければいけないとおもいます。一番知らなくてはいけないひとは、だれなのでしょう。

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